今こそ「ベーシック・セキュリティ」の議論を始める時だ
「ベーシック・セキュリティ」とは聞きなれない言葉かもしれない。しかし、コロナウィルスの蔓延によって世界で数百兆円規模の歴史的経済対策が打たれる前夜だからこそ、今真剣に検討すべきだと思われる。
「18才以上の全てのアメリカ人に毎月 1000ドルを支払う。条件は一切なし。勤労の有無に関わらず、貧富の差も関係なく、死亡するまで全国民に毎月払い続ける」。これが2020年米大統領選で大きな注目を集めたアンドリュー・ヤングというアジア系候補の公約だ。2017年11月6日に立候補表明をし、2020年2月1日に離脱するまでに8回にわたる討論会出席に必要とされる集票、集金の厳しいハードルをクリアして周囲を驚かせただけでなく、離脱後にも彼の発言に大きな注目が集まっている。もっとも注目されるのが上述のユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)政策だ。今までは残念ながら政策としてまともに取り上げられなかったように思われる。しかし、その状況はコロナウィルスで激変した。コロナ経済対策に各国合計で数百兆円規模の予算をを打ち出す中で、アンドリュー・ヤングの存在感が増し、選挙離脱後もコロナの経済対策でトランプ政権にアドバイスをしている。もちろん、一時的に全国民に現金/小切手を配るトランプのコロナ経済対策と、生涯にわたって毎月支払い続けるUBIは全く違うものだ。しかし、こうした非常事態対策がその後も継続することがあり、そうした意味でUBIが現実味を帯びる可能性がある。
さて今回、米国では220兆円($2.2T)、GDPの約20%という緊急予算が上院に送られ、これが通過すればトランプ大統領はサインすることを明言している。220兆円と言われても想像が難しいが、2008年金融危機の時に100を超える金融機関に公的資金を注入した時でさえ、その総額は20兆円($200B)と今回の10%にしか過ぎない。2019年の大和総研レポートによれば、1992年から2004年の12年間で日本の金融機関が行った不良債権の処分損累計は約100兆円。この期間に破綻した日本の金融機関は181にも上っている。100兆円はそのような天文学的数字だ。明日以降明らかになるだろうが、今回は米国一国でその約2倍の資金がコロナ経済対策で投入されようとしている。日本でもGDPの10%に当たる50兆円を超える公的資金注入が取りざたされている。多くの国で社会生活をほぼストップさせてしまったのだから、生活支援は絶対に必要だ。しかし世界で数百兆円単位の税金をどのように担保し、そのつけは誰がどんな形で支払うのだろうか。
歴史学者ハラリはファイナンシャルタイムスに寄稿して「独裁監視国家と市民のエンパワメント、そしてナショナリストの孤立とグローバルな連帯」の対比を描いた。それは中国におけるコロナ対策の不気味さ、これに対比させる形での韓国、台湾、シンガポールの成功、そしてトランプ政権の一国主義政策への痛烈な批判であり、米国のみを視野にドイツ企業の新薬に巨額の買い付けを行ったトランプ大統領を念頭にしたナショナリストへの警告だ。ハラリの提言は「市民のエンパワメント」と「グローバルな連帯」である。ここで思い出すべきはSDGs持続可能な開発目標ではないだろうか。ご存知のようにSDGsは2015年9月の国連サミットで採択され、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた17の目標だ。注目すべきはその予算で、先進国からのODA政府開発援助2018年実績で14兆9000億($149B)、前年比2.7%減、2030年までにこの資金を倍増(30兆円程度)することが必要とされる。しかし資金難が一因で、2017年では世界8億2100万人が栄養失調の状態にある。7億5000万人の成人が文盲、しかも6億1700万人の子供/ティーンエージャーが最低限の読み書き算数ができない。土地の荒廃よって10億人が影響を受け、世界55%の人口が社会的保護にアクセスできない。1000億円($1B)あればワクチン摂取によって毎年100万人の子供の命を救うことができる。
さて、ベーシック・インカムを牽引してきたRutger Bregmanが近頃提言しているのがベーシック・セキュリティという言葉の使用だ。例えば子育てをしながら最低賃金で働く時、失職中で生活を維持できない時、あるいは社会状況、生活の状況がそれを許さない時、税金を徴収するのではなく、逆に現金を支払う「ネガティブ・インカムタックス」(マイナス所得税)によって全ての人間に生活の安心を提供するという考え方だ。2015年に行われた試算によれば、こうした政策を米国で実現するための予算は33兆6000億円($336B)、米国GDPの約1%、今回のコロナ経済対策の20分の1である。
普通ならば何年もの議論を経る政策が数日単位で緊急事態対策として実行され、その影響は緊急事態が過ぎても持続される。数百兆円という資金を使うことが、業界のロビー活動と政治家の人気取りで進められるのか、あるいは新しい社会の形を構想する第一歩になるのか。我々はその岐路に立っている。今こそ、コロナ経済対策を「ベーシック・セキュリティ」に直結させる議論をすべきではないだろうか。