There is simply only one thing more terrifying than nuclear weapons pointed in your direction and that is nuclear weapons pointed in your enemy’s direction. The outcome of their use would be the same in either case, and that is the annihilation of you and all of us. That is a defense which is no defense”. (David Lange, 1985 Oxford Union debate)

Since 1945, when the US and the Soviet Union divided Korea along the 38th parallel, Northeast Asia has been in a state of war. North Korea (DPRK), Russia, and China to the north, and South Korea (ROK), Japan…


2001年に起草され、2005年に国連総会で承認された「保護する責任」原則が多くの国に支持されることになれば、内政不干渉原則を越えて国際社会が人々を守る時代が来るかもしれない。しかし機能する国連なしでは、こうした理念も絵に描いた餅だ。時間のかかる安保理改革に先駆けて、五大国拒否権の及ばない地域的枠組みの中で、自然災害に即応する多国籍部隊を創設すべきではないだろうか。

「保護する責任」とは何か

「保護する責任」とは、国家が自国民を重大な人権侵害から護ることができない/護る意思がない時、抑圧されている人口を護る責任は国際社会が負うとする新しい概念だ。2001年12月18日に「干渉と国家主権に関する国際委員会」(International Commission on Intervention and State Sovereignty: ICISS)の報告書として国連に提出された。ICISSはカナダのアクスワージー外相(当時)、ギャレス・エバンス元オーストラリア外相、モハメド・サヌーン国連事務総長特別顧問を初めとする各国の学者、政治家、外交官が委員となり、カナダ政府、スイス政府、イギリス政府のほか、カーネギー財団などから財政支援を受けた。

ICISS委員会設置に至る背景として、特に1994年のルワンダで100日間で約80万人が原始的な武器で殺戮されたにもかかわらず、駐留していた国連平和維持部隊をはじめとする国際社会がこれを止めることができなかった事態があった。この惨劇で数百万人単位の難民/国内避難民が発生し、周辺諸国を含めた地域に混乱が広がり、被害者と加害者の和解努力は気の遠くなるレベルだ。100日間で80万人が虐殺されたということは、長崎の原爆が10日に1回の割合で10回投下されたに等しい。それでも国際社会は不干渉原則を守ってジェノサイドを看過するのか、あるいはこうした惨劇が主権国家内の出来事であっても不干渉原則の範囲外にある国際的な義務とすべきなのか。そして、もし干渉するならばどんな枠組みが必要なのか。こうした疑問に対する国際社会の答えが「保護する責任」レポートだった。

伝統的国際法ではウエストファリア条約以来350年以上に渡って内政不干渉が国際関係の大原則になっている。国連憲章でも第2条7において、国連は本質的に国家の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を持たないとしている。一方で1970年代には不干渉原則の適応範囲を限定する議論が現れ、欧州安全保障・協力会議(CSCE)は、不干渉原則と人権の尊重を同じく国際法の原則として扱うという議論を先導した。フランスの「国境なき医師団」は、犠牲者へのアクセス権を主張した。1996年には米ブルッキングス研究所が「責任としての主権」(Sovereignty as Responsibility)をまとめ、主権は、国内の市民の安全と福祉に最低限の基準を保証するという考え方を示した。そうした流れの中で、コフィ・アナン国連事務総長が、「人類の良心に衝撃を与えるような人権侵害」が目の前で行われている時、国連を初めとする国際社会はどのような対応をすべきなのか、という問題提起を行った。これを受けてカナダ政府が前述のICISSを設置し、今までの議論を一歩進めた。すなわち、国家主権は自国民を保護する責任を伴っており、大規模な人権侵害から自国民を護れない/護る意思のない国家は内政不干渉を主張できない、としたのだ。

この「保護する責任」の主要概念は、2005年国連首脳会合成果文書において正式に確認され、2007年には初代「保護する責任」国連事務総長特別顧問(Special Adviser on the Responsibility to Protect)としてエドワード・ラックが任命された。こうした一連の展開については、国立国会図書館レファレンスでレポートされている。当時、緒方貞子国連難民高等弁務官らが提唱した「人間の安全保障」が大きく注目されており、2007年には我が国がICC国際刑事裁判所の締約国になっている。基本的人権を擁護する国際社会のランドマークとも言えるこの条約を、アメリカが大反対する中で日本が批准したことは、人間の安全保障と国連中心主義を掲げる日本外交の意思を内外に鮮明にした快挙だ。しかし、残念ながら批准に当たって必要と思われる国内法の整備はほとんどされなかった。日本は、自衛隊という実力組織を国外に派遣している主権国家の立場から、ICC国際刑事裁判所条約批准と整合する国内法の整備、さらには「保護する責任」の精査が必要だったが、これを正面から取り上げる国会議論は今日に至るまで行われていない。

「保護する責任」の限界:安保理の拒否権

「保護する責任」は、紛争の原因に取り組む「予防する責任」、強制措置(最終的には軍事干渉) を含む「対応する責任」、復興、和解などへの支援を提供する「再建する責任」の 3 つの要素を包含するもので、その中核であり最も重要な側面は 「予防する責任」だ。

この前提を踏まえた上で、「対応する責任」としての軍事行動が正当化されるには、次の 6 つを満たす必要があるとしている。 ①正当な理由: 大規模な人命の喪失、又は「民族浄化」が現在存在し、又は差し迫っ ている。 ②正当な意図: レジームチェンジが目的ではなく、体制が人々を害する能力を無力化 することを目的とする。③最終手段: 交渉、停戦監視、仲介による妥協など、あらゆる外交的手段、非軍事的手段を尽くしても効果が認められない。 ④必要最低限の手段:規模、期間、攻撃能力等が必要最小限である。 ⑤合理的な期待:干渉前より事態が悪くなり そうな場合には干渉しない。⑥正当な権限:軍事干渉の可否を判断するのは、国連憲章第 7 章、第51条、第 8 章にあり、つまりは国連安保理の判断なのだが、「保護する責任」に関する安保理の判断は慣習法となるには未成熟であり、また、安保理理事国の代表性も不十分だが、安保理以外に軍事干渉の問題を扱える機関が存在しないため、安保理をよりよく機能させる必要がある、と論じている。その良い例がリビアだ。

2011年3月17日、安保理がリビア情勢に関する決議1973を採択し、国連史上初めて「保護する責任」原則に基づいて武力行使が容認された。残念ながら、この決議1973以降、「保護する責任」原則は国際社会の主要な支持を失ってしまった。その理由は2つ。まずリビアにおいて「保護する責任」決議の下、武力行使が容認されたが、人権を護ることよりもカダフィ政権を倒すレジーム・チェンジの戦争になってしまったことだ。「保護する責任」安保理決議に基づく武力行使が、行きつくところ敵対政権の打倒に直結してしまった。人権を擁護する上で最後の手段として認められた武力行使が、西側列強諸国に敵対する政権の打倒に使われてしまった感がある。もう一つは、「対応する責任」の執行は国連安全保障理事会の決定に依らねばならず、その決定は安保理5大国の一国でも反対すれば実現しないという現実だ。つまり、理念に忠実な運用はまず不可能であることだ。理念はどうあれ、現在の枠組みでは、拒否権を持つ5大国の意に反して、あるいは5大国に対しては、武力行使は絶対に行われない。「保護する責任」原則はウエストファリア条約以来250年続く主権国家体制、国連が依って立つ内政不干渉原則に対する挑戦であり、時代を画する概念といっても決して大袈裟ではない。しかしながら、執行機関たる国連安保理が5大国の国益で動いている以上、どんなに必要であっても「対応する責任」がその原則に忠実な形で機能するとは思えない。

「保護するだけ」の武力行使が存在するのか

さらに本質的な疑問は、「保護するだけ」の武力行使が存在するのか、という疑問だ。 現場から10,000キロも離れた会議室で「保護するだけ」の武力行使を決めても、当事者にしてみれば、目の前の兵隊アリではなくそれを送り出してくる女王アリの巣にミサイルを撃ち込むのではないか。それをやらせない、武装も最小限度というのは、スレプレニッツァやルワンダに駐留していたピースキーパーと同じように、虐殺を止めることが不可能になるのではないか。

同じように、専守防衛の戦力と通常戦力の違いを明らかにすることも困難だ。現代の戦争は全て防衛戦争だ。攻撃される前に敵基地を叩くことが防衛かどうかは解釈次第だ。急迫不正の侵害があり、これを防ぐのに他の手段がなく、必要最小限の武力行使を行うような敵地攻撃もありえる、というのが現政権の方向性だ。しかし問題は防衛能力の整備は周辺諸国の防衛能力の整備をトリガーせざるを得ないことだ。

このスパイラルから抜け出すには緊張緩和、信頼醸成を行う以外ない。民軍の多国籍部隊が日常的に共同訓練を行い、同じ釜の飯を食い、共通の敵である自然災害に即応する体制を作る。被災後72時間以内に早期展開能力、自己完結能力を持つ多国籍軍事組織が現地で多くの命を救い、短期撤収した後、非軍事組織を中心とした長期的な復興支援につなげる。こうした活動を現実のものとする準備、多国間の話し合い自体が隣国との緊張緩和、信頼醸成への第一歩ではないだろうか。


国際法の原則を「到底受け入れることはできない」とする日本の姿

日産ゴーン事件について、国連人権理事会(UNHRC)の「恣意的拘禁に関する作業部会」は、2020年11月20日に意見書を発表し、カルロス・ゴーンを日本の当局が4カ月余りにわたって勾留したのは、恣意的であり人権侵害であると結論づけた。作業部会は「勾留を繰り返したのは司法の権限を超えた手続きの乱用だった」とし、ゴーン氏への賠償を日本政府が行い、さらに「権利を侵害した責任を負う担当者に対して適切な措置をとる」ことを求めた。

上川陽子法相は24日、「ゴーン被告の一方的主張のみに依拠した事実誤認に基づく意見書が公表されたことは極めて遺憾で、到底受け入れることはできない」と述べた。公明党の山口那津男代表も同日、「恣意的との指摘は当たらず、到底納得できない」とした。日本外務省吉田外務報道官は、「… 今回の意見書というものは、加盟国を拘束するものではありませんし、またその機関である人権理事会の見解でもありません。…日 本は訴訟関係人の権利の保護の観点から、法律上、捜査公判に関する情報が提供することができないということが法律で定めてあります。そうした中で、十分に日本から事情を重ねて説明をしてきたものです。」と説明した。

こうした日本の反応は国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会で「シャラップ!」と感情的な発言をした上田秀明人権人道担当大使(当時)を思い起こさせる。上田氏は2013年5月22日、日本政府を代表した立場で、スイスで行われた拷問禁止委員会の審査会に出席していた。警察や国家権力による非人道的な拷問や刑罰を禁じる「拷問等禁止条約」が日本で順守されているか審査を受ける場だった。海外の委員の一人が「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と刑事司法制度を批判したところ、上田大使は「日本は中世ではない。我々はこの分野で世界で最も進んだ国の一つだ」と答え、会場に笑いが起こると、「笑うな。何がおかしいんだ? 黙れ。黙れ!」と問題発言を炸裂させた。一連のやり取りは今でもネット上で観ることができる。

確かに日本は安全な国だ。子供が電車やバスを乗り継いで通学することにさほど心配はいらない。交番システムも輸出されている。しかし、日本が世界に誇る「安全な社会」ではあっても、刑事司法制度が「完ぺき」だと思うのは間違いだ。同時に、ここで日本の外交官を責めることはできない。国際人権法を尊重して刑事司法制度の不備を改めるのは立法府の仕事だ。日の丸を背負ってこれを擁護する立場の官僚から言い出すのは難しいだろう。なぜ日本の制度が「人質司法」と言われるか、にはいろいろな側面がある。一つの分かりやすい例が、被疑者の取調べに弁護士の立ち合いを認めないことだ。この状況は東アジアの国々の中で、北朝鮮、中国、そして日本の三ヶ国のみだ。この一点だけをとっても日本の刑事司法が「中世」のようだと言われ、これを感情的に弁護した日本の官僚が失笑を買うのも仕方がないだろう。

「政府が何かやれば、かえって迷惑というのか?」_大日本帝国商工省工務局 坂工政課長

日産ゴーン事件の経済的側面を考えて見よう。経営危機に陥ってしまった日産自動車に対して、2020年5月に危機対応融資1,800億円が決まっている。その内1,300億円には政府保証がついている。つまり、返済が滞れば保証した80%が税金から支払われることになる。類似の例では、2009年に日本航空に対して約670億円の政府保証付き融資があったが、同社は翌年に経営破綻し、約470億円の国民負担が生じている。こうした経営破綻の背後にあるのは、政府の介入が大きければ大きいほど経営が行き詰まるという事実ではないだろうか。明治維新以来、日本の奇跡的経済成長を支えてきたのは政府の政策ではなく、有能な経営者なのである。

1934年、ドイツ国民投票でヒトラーが総統として承認された1ヶ月後、日本では「自動車工業確立ニ関スル各省協議会」の第7回会合が商工省主催で開催された。ここで日本を代表する自動車産業の責任者3名が意見を陳述した。豊田喜一郎(豊田自動織機製作所社長)、鮎川義介(日産自動車社長)、加納友之介(自動車工業社長)である。この場で豊田喜一郎は自動車製造の現状を説明し、最小限月産700〜800台程度の生産で、米国車と価格的に競争可能である旨を述べた後、こう付け加えた。「政府の援助は考えていなかったが、あれば結構なことである。ただし、補助金は原価低減努力を阻害するので不要である」「どこの会社が自動車産業で成功するかわからないので、すべての会社に製造許可を与えて欲しい」。豊田喜一郎は、自助努力を妨げる補助金や参入規制に対して、反対の意見を持っていた。会議を主催した商工省坂工政課長が「政府が何かやれば、かえって迷惑というのか」と聞き返したという。 _トヨタ自動車75年史より抜粋

もう一つの例はホンダの四輪車市場参入だ。1961年に通商産業省は特定産業振興臨時措置法案(特振法)を用意した。国際競争力を高めるために自動車メーカーを3つのグループに整理統合することを目指したのだ。当然、新規参入は認められないことになる。自由競争主義者の本田宗一郎は強く反発し、1962年6月5日、建設中の鈴鹿サーキットでオープン2シータの「S360」とDOHCエンジンを搭載したトラック「T360」を発表した。翌1963年の8月にT360を発売、10月には排気量をアップしたスポーツカー「S500」がデビューする。価格は45万9000円という驚異的な低価格だった。翌年、特振法は国会で廃案となり、ホンダの前途に立ちはだかる障害はなくなった。_Car Graphic webCGより抜粋

どこの国であっても、経済成長は豊田喜一郎や本田宗一郎のようなメンタリティを持った経営者に支えられる。太平洋戦争前夜、大日本帝国商工省の影響力が強大な時でさえ、日本の経営者はこうした矜持を持っていた。そうした経営が切望されるのは、現代の日産自動車で働く99%の人達にとっても同様だろう。日産・ゴーン事件の過ちは、企業ガバナンスの問題を法務省検察局特別捜査部に持ち込み、自らの会社のトップを司法取引を使って逮捕、勾留させた日産トップの御家騒動、これに加担した経産省、お墨付きを与えた政権中枢、そして特捜部の垂れ流す情報をそのまま拡散する日本のメディアによる推定有罪報道だ。その結果、日産を倒産の危機から救った経営者が4ヶ月以上勾留され、繰り返される勾留延長請求を裁判所が無批判に許可しただけでなく、起訴後初公判の日程さえ確定できないような刑事司法制度の醜態が国際社会に注目されることになった。もし、勾留期間中フランス大使やレバノン大使が定期的に面会に行くことがなければ、そして海外のメディアが注目しなかったならば、自白しない限り勾留を続ける「人質司法」によって、カルロス・ゴーンは今日に至るまで勾留所から出られなかっただろう。現に、オリンパス粉飾決算事件では横尾忠宣氏が無罪を主張し、自白を拒んで、966日間の未決勾留を経験している。966日間。約2年7ヶ月である。

自ら経営経験を持たない官僚や政治家の介入は百害あって一利なし

現在、日産の正社員はグローバルで13万6千人、家族まで入れれば50万人の生活がこの会社の経営にかかっている。パート、アルバイト、子会社、孫会社、関連会社、そして5000社に上る日産サプライヤーに働く人達まで考えれば、その経営の行方は数百万人の生活に影響を及ぼすだろう。このような総合産業においては、どの国でも政府との結びつきはある。日産本社所在地である衆議院神奈川県第2区から選出されている管総理大臣が、日本を代表するこの会社の再生を考えるのは当然だ。しかし、今までの経緯を見ていると、日の丸を背負った日本企業としての日産だけを守ろうとしているようにしか見えない。それが結果として日産の再生に繋がり、日本経済を先導するなら良いが、今回の政府保証1,300億円をはじめとして、やることなすこと日産の底力を引き出すどころか、反対にその力を削ぎ、日本の経済力を落とし、ひいては日本の信用を貶めているとしか思えない。

1999年に日産がその株式の36.8%を仏ルノー社に売却して倒産の危機を乗り越えて以来、日産は外資系企業になった。外資日産のCEOになったカルロス・ゴーンは「ミッション・インポッシブル」と言われた仕事を引き受ける際、日産の底力を信じ、社風に敬意を払い、95%の目配りを現場に置き、中間管理職から日産リバイバル・プランを引き出し、優先順位を明示し、海外の関連会社まで含む徹底した透明性を確保して、たった2年で日産社歴最高益を叩き出した。2008年のリーマンショック後、経営不振に陥った米GMの再建をオバマ大統領から直接依頼された時も、カルロス・ゴーンは日産に残り、その後ルノー・日産・三菱連合を世界一の自動車グループにまで牽引したのである。1980年代に世界経済を席巻した日本的経営は、LTE/終身雇用、LRP/長期計画、TQC/品質管理などにあるとされてきた。こうした企業文化に敬意を払わず、非採算工場の閉鎖などのコスト・カットだけでV字回復を実現できたと考えるのであれば、それは大きな間違いだろう。系列企業の株式を売却し、大胆に仕入れ価格を削減し、経産省からの天下りを拒否したことは、日本的経営の負の側面にメスを入れたことに他ならない。

この間、日仏両政府の存在はルノー・日産・三菱の経営に寄与しなかったどころか、現場を知らない官僚、政治家等の手によってこの成功を根底から覆してしまった。カルロス・ゴーン追放後の、日産とルノーの惨憺たる決算書がそれを余すところなく物語っている。フランスにおいても「黄色いベスト運動」で政府は頭を悩ませている。だからこそマクロン大統領はカルロス・ゴーンが高額の給与を取ることに反対したのだろう。しかし日産はグローバル企業として再生するのであって、日仏両政府が企業経営に口を挟む余地はない。自ら経営経験を持たない官僚や政治家の介入は百害あって一利なしだ。

日本が戦後の経済成長を続けていた頃、「経済は一流、政治は三流」と言われた。いまその政治が、経済まで三流にしようとしている。日本の成長と安全を確保してきた今までの自民党政治には敬意を払うべきだと思う。しかし、いつまでもジャパン・インクをやっている時代ではない。日産ゴーン事件の結末は1,000億円以上の国民負担可能性に加え、人質司法の現実を世界に知らせ、日本の信頼を貶めたことだ。

日本は2021京都コングレスで国際人権法を尊重する立場を鮮明にすべきだ

幸いなことに、第14回国連犯罪防止刑事司法会議が2021年3月7日〜12日の間、京都で行われる。世界の刑事司法専門家が集う国連最大級の国際会議である。実はこの会議、2020年4月20日〜27日に開催される予定だった。その時の法務省は「人質司法」に少しでも関係するようなパネルはゼロ、サイドイベントとしても全く認めないという立場だった。今回はどうなるのだろうか。京都に集まる世界の刑事司法専門家から、どんな批判でも堂々と受け止めて改革につなげるだけの自信、そうした横綱相撲を取れる治安の良さを日本は持っている。今こそ、国際人権法を尊重する立場を2021京都コングレスで鮮明にし、 これを成功させ、遅きに失した「人質司法」の改革に取り組む時ではないだろうか。


Sole custody and joint custody

There is no domestic law in Japan that stipulates joint custody. If the child is a minor, the parents jointly exercise parental authority during the marriage, but after divorce, the concept of sole custody kicks in. Almost everyone agrees that both parents should be properly involved in child-rearing even after the divorce, but according to the research office of the House of Councilors’, the visit exchange and the payment of child support are low in Japan. Though single custody is easier to make decisions about child-rearing, parents who have lost parental authority are less likely…


単独親権と共同親権

日本には共同親権を規定する国内法がない。子が未成年の場合、婚姻中は父母が共同して親権を行使するが、離婚した 時は、父母どちらかの単独親権となる。離婚後も父母双方が子育てに適切に関わるこ とが子の利益の観点から重要であるとされているが 、参議院の調査室によれば、面会交流の実施状況や 養育費の支払率は低調だ 。また、単独親権は子育ての意思決定はしやすいが、親権を失った親が養育に関わりにくく、子との交流が絶たれるケースも少なくない。厚生労働省資料によれば、1995年から2009年だけで約380万人の子供達の親が離婚しており、そのうち両親に会うことができるのは28%にしか過ぎない。これは15年間で約270万人、平均すると年間18万人の子供達が父親、あるいは母親のどちらかに全く会えないことを意味する。DV等の問題を抱え、子供からすれば会いたくない親もいるだろうが、その一方で大人の都合で離婚したにもかかわらず、子供達の大部分は親権を持たない親に会えないのが日本の現状だ。

2019(平成31)年2月、国連の「児童の権利委員会」が、日本の第4回・第5回政府報告に関する総括所見において、「児童の最善の利益である場合に、外国籍の親も含めて児童の共同養育を認めるため、離婚後の親子関係について定めた法令を改正し、非同居親との人的な関係及び直接の接触を維持するための児童の権利が定期的に行使で きることを確保する」ため、十分な人的資源、技術的資源及び財源に裏付けられたあらゆる必要な措置をとるよう日本に勧告した。これに対し政府は、勧告については真摯に受け止めているとしたが、2019年2月25日衆議院予算委員会において河野太郎外務大臣は「この児童の権利条約は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するよう、締約国が最善の努力を払うことを規定したものにすぎず、離婚後の共同親権制度の導入について明文の規定は存在しません」と答弁した。

他方、国際結婚の増加に伴い、一方の親が無断で16歳未満の子を国外に連れ去った場合、残された親の求めに応じて、原則として元の居住国へ返還することや、親子の面会交流を支援することなどを定めたハーグ条約が1983年に発効し、日本を含む101カ国が締約している。そんな中で2020年7月、欧州議会は加盟国の国籍をもつ人と日本人の結婚が破綻し た場合などに、日本人の親が子を一方的に連れ去るケースが相次いでいるとして、連れ去りを禁止する措置や共同親権を認める法整備などを求める決議を採択し た。これに対し当時の森法務大臣は、離婚に伴う子の連れ去りや親権制度をどうするかとい う問題は複雑だが、子の利益を最優先として、様々な意見に耳を傾けながら検討を進める旨発言している。

国内法の視点だけで子供の権利は守れない

国際結婚が破綻した最近の例がある。別居中の日本人妻とフランス人夫間の保育園に通う娘の監護者を妻に対して仮に認め、現在父と暮らす娘を仮に妻に引き渡すことを命じた東京家庭裁判所令和2年9月14日の審判前の保全処分だ。国際的な民事事件では被告が日本国内に居住している場合、国内の裁判所に管轄が認められるので、この判決に基づいて娘の引き渡しは行われる。仮に夫が引き渡しを拒否すれば、人身保護請求という手段もあり、いずれにしても引き渡しが行われる可能性が高い。しかし、同様の事例で日本人妻が外国から子を国内に連れ去った場合、ハーグ条約に基づいてその子を元の居住国へ返還することが求められるが、現実的には全くと言って良いほど行われていない。

このような現状で、離婚する親が国際結婚をしていた場合、子供の立場は悲劇的だ。親権を持たない親の文化、言語、祖父母、いとこ達等、自分の半分のルーツから切り離される。人権は国境を超える。子供の人権を大人が守らなければ人権侵害は野放しになる。国連の児童の権利委員会の日本に対する勧告、ハーグ条約締約国としての日本の責務、そして欧州議会決議の全てが児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則について最善の努力を払うことを要求し、日本の共同親権制度導入を示唆している。こうした流れを受け、2019年11月より公益社団法人商事法務研究会主催の家族法研究会において、父母が離婚をした後の子の養育の在 り方、離婚後共同親権制度の導入の是非、面会交流の促進を図る方策等が検討されてい る。また2018年2月には共同養育支援議員連盟総会において、「父母の離婚等の後に おける子と父母との継続的な関係の維持等の促進に関する法律案」が承認されている。さらに、法務省の予算で調査を行に、G20を含む海外24ヵ国の措置を調査している。その結果、日本と同じように離婚後単独親権のみが認められている国はインドとトルコの二カ国のみであり、多くの国で何らかの共同親権が認められている。共同親権、つまり離婚後であっても子が両親に会える権利を保証することは世界の趨勢と言っても良いだろう。安倍政権以来「価値の外交」を標榜する日本で、外務大臣が「明文の規定がない」、つまり明示的に共同親権の導入が勧告されていないという答弁でこの問題を引きずることは日本のイメージを著しく損なっている。

Friendly Parent Rule:フレンドリー・ペアレント・ルール

さて、離婚後の監護者の決定に当たって、別居親と子供の交流を促進させることが親権の判断基準の一つとする原則があり、共同親権を裏打ちするルールとして多くの国で認められつつある。これはFriendly Parent Rule: フレンドリー・ペアレント・ルールと呼ばれ、①別居親と子どもの面会交流に協力できるか、②子どもに別居親の存在を肯定的に伝えることができるか、③子どもが面会交流に消極的な場合でも、別居親との面会交流を子どもに働きかけることができるか等を、親権獲得の一つの条件とする原則で、米国やカナダなど多くの国で認められている。この原則が適応されれば、離婚後であっても両親との継続的な交流が実現する可能性が高い。子の最善の利益を考えた共同親権制度導入が困難なのであれば、フレンドリー・ペアレント・ルールが周知のものとなり、広く理解を得ることが、子の連れ去りを助長するような現状の司法判断を変える契機になるはずだ。


自然災害を「人類共通の敵」とするHRTF③ 日米地位協定の改正

イージス、F35、そしてオスプレイの導入は自衛隊をますます米軍と一体化させ、日本独自の運用を困難にするだけでなく、集団的自衛権の発動によって米国の戦争イコール我が国の戦争になるという「危険な安全保障」の側面がある。他方、戦後70年以上にわたって日本が屈辱的な地位協定を改定できなかったのは、NATO加盟国であるイギリス、ドイツ、イタリアと比べて米国との相互防衛の枠組みがないからだ、と説明されてきた。このジレンマからの突破口は、仮想敵国に対する「専守防衛戦争」の準備ではなく、現実的に目の前に存在する自然災害に即応する国際的な体勢を作ることにあると考える。今、カリフォルニアの山火事、アマゾンの熱帯雨林火災など、地球温暖化により世界で頻発している大規模な森林火災は一国では処理できない状況になってきている。日本はすでにJICA(国際協力機構)を通じてオーストラリアやブラジル、アマゾン地域の森林火災に対する支援を行っているが、改善の余地は大きい。ここで注目すべきなのが飛行艇による航空消防の可能性だ。

現在、海上自衛隊が捜索救難機として使用しているUS-2という機体がある。新明和工業株式会社が開発した水陸両用機だ。世界の森林火災と航空消化について<第2報>によればUS-2を固定翼消防機に改造した場合、搭載水量15kl、航続距離4,600km以上、そして波高3mの外洋に着水できる世界で唯一の消防飛行艇になる。各国が所有する中・大型消防機は2012年時点で243機にしか過ぎず、また現在生産されている世界の飛行艇はカナダのCL-415、ロシアのBe-200だけで、機能的にはUS-2が遥かに優れている。こうした機体の運用については、米国では農務省森林局が連邦の航空消火規則やマニュアルの整備、消防機の登録等の管理からリースした消防機の各州への派遣を行っている。しかし、2000年代前半には軍用機を改造した消防機の主翼が空中分解するなどの事故が重なった。さらに同時期、欧州では電線に接触したり、煙の中に入って斜面に激突するなどの事故が多発し、飛行管理の改善、地上-空中間の連携、訓練の強化等の対策が必須になっている。仮に日本からUS-2を森林火災の現場に派遣する場合、現地での飛行制限空域の設定、指揮管制機との連絡など、現地及び国際的なステークホールダーとの緊密な連携が必要であり、単発的な派遣ではなく日常的な共同訓練が必須だ。加えて、機体の整備、部品や工具の提供、パイロットのトレーニングなどを考えれば、通年で駐屯し現地にノウハウの移転を行うことが必要になるだろう。まさに日本らしい国際貢献の形ではないだろうか。

しかし同時に考える必要があるのは、他国に実力組織が行けばさまざまな事故/問題が起こる可能性があることだ。一方で、身の危険を犯しながら消防活動を行っている時まで現地の刑事司法制度を適応されれば、訓練や消防活動に支障が出る。他方、そうした滞在が長期化すれば、訓練中/本番中の事故、あるいは業務外における交通事故や、窃盗、傷害、レイプ、殺人が起こる可能性もある。どのような時、どの国の刑事司法制度で裁かれるのか。どんな地位協定が望ましいのか。日本から航空消防の選択肢を提供して地元機関との共同訓練を重ねるのは良いが、あらゆる事態を想定した中立・公平な地位協定の締結が必須だ。これが実現すれば、同等の条件を在日米軍に要求する交渉ができるはずだ。

イギリス、ドイツ、イタリアなどと比べて日本の地位協定が屈辱的なのは、NATOの相互防衛協定に類するものが日米間にないからだという説明がなされてきた。そうした中、我が国で進行中なのは、難しい憲法改正を避けて運用面からこのアンバランスを改めるため、集団的自衛権は行使する、敵基地攻撃能力を持つという方向だ。その次には憲法に自衛隊の存在を書き込み、軍法を整備して海外の自衛隊に国際法上の市民権を与え、国民の理解が得られる時期を見て、堂々と自衛軍として規定する。こうして、日本軍が海外に派遣された時の地位協定と同レベルのものを在日米軍に要求するという交渉になるのだろう。しかし問題は、こうした武装同盟政策の先にどんな世界が見えてくるのかという点だ。歴史を見れば、バランス・オブパワーの行き着く先が第二次世界大戦5,000万人以上の犠牲者と原爆の使用だったことは明らかだ。産軍複合体や傭兵組織が跋扈する武装同盟の未来を、希望を持ってグレタ・トゥーンベリや世界の小・中学生に説明できる政治家はいないだろう。

今の日本は、米第7艦隊に母港を提供し、駐留米軍基地から事実上の自由出撃を許している。外交・安全保障の観点から見れば日本は米軍の出先機関だ。今の日本からいくら自然災害を「人類共通の敵」とする国際機構を提案しても説得力に欠けるだけでなく、真意の見えない恐ろしさを感じるだろう。その理由は、第一に専守防衛と言えばどんな装備でも持てるようになり、周辺国との相互不信という悪循環に入り込みつつあること。第二に軍事による抑止力を言うのであれば敵基地攻撃能力のみならず自ら核武装をし、なんらかの徴兵制度を持つのは当然だが、そうした本音の議論なしに物事が進んでいること。第三に現状の方向性では自衛隊の運用は米軍抜きで考えられなくなること。第四に日本が攻撃を受けた時には米軍が助けてくれるが、米国が攻撃を受けた時には日本は助けません、という話は通らないことだ。次の政権交代がある時、日本は2兆5千億円にも及ぶF35の購入をキャンセルすべきだろう。オスプレイの導入もストップして、自分の国は自分で護る体勢を構築すべきだ。孫子は「戦わずして勝つ」ことが最上であると言った。敵は軍事予算を際限なく増やす勢力であり、紛争を営利活動とする傭兵組織ではあるまいか。こうした強大な勢力に勝つためには、米国の良識派と連携しながら日本周辺諸国との信頼醸成を進めるしかない。

HRTFは軍事組織だが、そのミッションは基本的に丸腰、非武装で行う。国際条約に基づいてHRTFが設置されれば、自衛隊が海外に派遣される時は日の丸ではなくHRTFの旗を持つことになる。その場合、NATO軍の地位協定とHRTFの地位協定は同じものではないはずだ。そこで次回は、HRTFを支える原則としての「保護する責任」を考えて見たい。


日本の「病院船」がもつ可能性

日本政府は2020年度第一次補正予算で7,000万円の「病院船」調査費を計上している。軍隊が保有する病院船は、紛争地帯の軍人だけが対象ではなく、大規模自然災害におけるHA/DR(人道支援・災害救援)に使われることも多い。世界の病院船では米海軍の「マーシー」と「コンフォート」が有名だが、これらの船は最近ではニューヨークとロサンジェルスに派遣され、コロナウィルス感染者治療の支援に当っている。日本の病院船構想は東日本大震災後に提起された。しかし、2013年の内閣府調査報告書では、建造費、効果的な運用、運営費、医療スタッフの迅速かつ長期的な確保などの問題点が指摘され、導入に至らなかった経緯がある。今回の再提案は感染症対策を含むもので、超党派議員連盟によれば、その運用は海上自衛隊等を含む「病院船保有機構」で行うとしている。

軍隊が保有する狭義の「病院船」に対する攻撃はジュネーブ条約で戦争犯罪として禁止されている。国際法に守られた白地に赤十字、赤新月、赤ひし形シンボルの力は大きい。しかし自衛隊は軍隊ではないはずだからジュネーブ第2条約22条「軍用病院船」にはできない。加えて、紛争が多発する現代において、ジュネーブ諸条約が想定するような国家間の紛争、あるいは湾岸戦争のような国連安保理授権の武力行使は少ない。その反対に、9.11後に米国によって戦争とされた、いわゆるテロとの戦いや、国内外の武力紛争が続いている。こうした安心して暮らせない地域の拡大に加えて、頻発する大規模自然災害は、身をまもる術を持たないもっとも弱い人口、国内外の貧困層を直撃している。日本がこの時期に病院船導入を検討するならば、少なくとも数十年単位で病院船を支えるビジョンを持つ必要があると思われる。まさにそれが「自然災害を人類共通の敵」と捉えて、多国籍部隊が民・軍で連携するHRTF構想だ。

軍の存在意義が問われる中での、人道支援・災害救援(HA/DR)の広がり

2011年3月11日の東日本大震災において、24 の国・地域及び5つの国際機関から緊急援助隊等が日本に派遣された他、16 か国 43 のNGOが来日した。126 の国・地域・国際機関からの支援物資や寄付金は総額 175 億円以上となった。また在日米軍と自衛隊の連携 した「トモダチ作戦」では、最大人員約 2万 4,500 名、艦船 24 隻、航空機 189 機などが投入された。(外交防衛委員会調査室

一国だけでの対応が難しい大規模自然災害が起こった時、被災72時間以内に人道支援・災害救援の緊急展開ができるかどうかに多くの命がかかっている。そして、今のところこうした緊急展開能力、自己完結能力を持って初期対応が可能なのは軍事組織だけだ。一刻が争われる人道支援・災害救援(HA/DR:Humanitarian Assistance, Desester Relief)をいかに展開するか、そしてどのように長期的な復興、医療支援につなげて行くかについては被災国を中心とした多国間の協力、軍事組織と非軍事、民間組織との協力関係が不可欠であり、平時から協力の枠組みを作り、同じ釜の飯を食って訓練をしておくことが望ましい。東日本大震災で、日本は被災国として大規模なHA/DRを受益側から経験した。この経験を東アジアの信頼醸成につなげるために、今後はICRC赤十字国際委員会が2008年に発行した「国際的な災害救援および初期復興支援の国内における円滑化および規制のためのガイドライン」、HA/DRに係る各国の枠組みなどを精査し、国際連合人道問題調整事務所(OCHA)と共に多国間の協力関係を作る枠組みをとしてスタートさせるべきだ。日本の「病院船」はその契機となり得ると考えている。

「病院船保有機構」の国際化

HRTFを日本から実現する第一歩は「病院船保有機構」をジュネーブ第二条約第25条に規定する「中立国救済団体の病院船」とし、多国間協力による運用に道を開くことだ。具体的には、病院船保有機構を国際条約に基づいて設置し、併せて多国間及び民軍の協力関係を定める。HRTF構想については前回書いたが、一言でいえば自然災害を「人類共通の敵」と捉える人道支援部隊(Humanitarian Relief Task Force)である。地球温暖化による自然災害は増える一方で、日本でも今まで経験したことがないような水害に見舞われている。HRTFは、東日本大震災で日本が経験したHA/DR分野で、東アジアに常設の国際機関を作る構想である。今後とも米中の緊張が高まることが予想される中で、こうした信頼醸成と紛争予防の分野で日本が果たすべき役割は大きい。

HRTF構想は2009年当時、東京外国語大学大学院平和構築と紛争予防講座伊勢崎研究室の特別客員研究員だったデズモンド・マロイ Desmond Molloy 氏のチームに私の事務所が依頼して作ったものだ。マロイ氏はアイルランド国軍大尉としてレバノン国連平和維持軍、カンボジア国連軍事監視団に参加、退役後はシエラレオネ、ハイチで国連PKOの武装解除の責任者などを務めた。また、UNDP国連開発計画DDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration:武装解除・動員解除・社会復帰)担当シニア・アドバイザーでもあった。伊勢崎賢治氏やデスモンド・マロイ氏のように、DDRの現場を知り尽くしている人は少ない。HRTFはそうした貴重な批判精神を反響板にして構想された。そうはいっても、現在のところこの構想は予算に裏打ちされた政府の提言からは程遠いところにある。ごまめの歯軋り、蟷螂(とうろう)の斧に間違いないが、机上の空論や現実味のない夢物語ではない。東アジアの国々にとって緊張緩和、信頼醸成につながる話であって、政治の世界から本気で取り組めば必ず実現できるはずだ。足りないのは政治的意思なのである。しかし、こうした提案を日本から行う前に準備すべきことがある。それが日米地位協定の改正であると思う。(HRTF③へ)


HRTFと言われても知らない方が多いと思う。音響工学に詳しい人なら、頭部伝達関数?が出てくるかもしれない。大編成オーケストラを指揮者の位置で聞くような臨場感を味わえる夢の技術だ。自宅でそんな音楽観賞ができると思うとワクワクするが、ここでいうHRTFは、Humanitarian Relief Task Forceという人道支援部隊構想である。台風、地震、津波、そして疫病などで困っている人達を、国際社会が協力して手を差し伸べる、まだ見ぬ常設国際機関だ。

現在日本では線状降水帯による豪雨で大きな被害が出ているが、同じ原因で中国三峡ダムの貯水量が危険水域を超えている。万が一決壊すれば億単位の被災者が出るといわれ、東日本大震災規模の国際的な救援が必要になるだろう。こうした事態に備えて各国の民事・軍事組織が共に訓練を重ね、同じ釜の飯を食って準備をしておくのがHRTFである。もちろん自然災害だけでなく、コロナ禍のワクチン開発等も一国単位ではなく、国際協力の中から生まれるはずだ。こうした開発を促進し、ワクチン摂取に当たってはどんな地域にいる人も取り残さないような活動に協力する事もHRTF活動の一部になるだろう。地球温暖化やパンデミックという、パスポートのない問題に対するパスポートのない答えを平時から用意しておくのである。

科学技術の進歩だけを見れば、あと10年、あるいは20年で人間が火星に移住できる時代になるだろう。しかし、それが本当に実現するかどうかは、地球規模の問題に国境を超えて取組む政治の実現にかかっていると思われる。国家間のバランス・オブ・パワーばかりでなく、「人類共通の敵」に対する共同戦線を組む必要があるのではないか。その代表格の一つが自然災害やパンデミックに協調して対応するHRTFになるはずだ。これからこの構想の具体的な姿をシリーズで考えて行きたいと思う。


UBIベーシック・セキュリティ実現に舵を切れ

1955年以来日本の政治を牽引してきた自民党の終わりが始まっている。モリ・カケ・サクラ・デンツーと不透明な隠蔽を繰り返してきた安倍政権はその象徴であり末期症状だ。戦後の経済成長を支えてきた新規学卒一括採用、終身雇用、系列、家の論理が時代の要請で変化しようとする過程を、経産省/特捜/自民党が偏狭なナショナリズムに劣化させたのが日産・ゴーン事件だった。戦後永きにわたって東だけを見る外交を続け、いつまでたっても近隣周辺国家との関係を正常化できず、挙げ句の果てにドナルド・トランプをノーベル平和賞に推薦する総理大臣が出てきた時点で自民党は終わった、そう言っても過言ではない。日本はそんなオベンチャラ国家ではないからだ。

しかし、右手のものを左手に移すに等しい政権交代は成功しない事を我々は旧民主党で経験した。「コンクリートから人へ」という考え方は良い。しかし、政界再編の試金石は格差の問題に向き合う具体的な政策だ。トップ1%が世界50%の富を独占し、個人の資産が数千億、数兆の単位になり、その差がさらに広がりつつある世界で、これを市場原理に任せるかどうかが問われている。見せかけやポーズではなく、政権交代イコール大きな方向性の変化、舵を切ることに繋がる政権公約が必要だ。細かいマニフェストではなく、根幹を支える政策を政治生命をかけて実現する政党の姿勢である。ベーシック・セキュリティを政権公約として導入することは、所有と支配の関係を捉え直し、すべての人が安心して暮らせる社会を実現する意思の表明だ。生活保護は恩恵ではなく権利である。例外なく、個人単位で、定期的に、無条件に、現金を支給する事で生きる心配が不要な経済支援を行う。これがベーシック・セキュリティであり、政党の存続をかけて実現を図る必要がある大きな政策ではないだろうか。

そうした意味で、終わった自民党に代わって政権を担う政党が出てこないのは当然だ。必要なのは自民党との対立軸ではなく、自民党をバラバラにし、その落穂拾いをしながらの政界再編だ。政治家を「落穂」にしてしまって申し訳ないが、新しい対立軸は格差の捉え方にかかっている。どこから徴税して、どこに配るのか。ゼネコン vs. 下請孫請け、正社員 vs. 派遣アルバイト、国民総生産 vs. 子育て家事家庭内介護、所得税/法人税減税 vs. 累進課税、大企業/富裕層のタックスヘイブン利用 vs. 金融取引税/富裕税、多国籍IT企業 vs.デジタル取引税、そして何よりもベーシック・セキュリティ導入の可否が分水嶺になると思われる。コロナ支援金として経験した月10万円の一時金給付を、今後とも全住民に対して、個人単位で、生涯にわたって続けることの可否とその税源をどうするかという視点だ。

考えてみれば自民党は、郵貯/かんぽの資金をバックに「国土の均衡ある発展」を掲げて全国に交通インフラを張り巡らせ、一時期は90%にもなる累進所得税に象徴される税体系で「世界で最も成功した社会主義国」と言われ、都市の税収を紐付きで地方都市にばらまき、こうした予算をコントロールすることで盤石の政治基盤を作ってきた。離島、半島、中山間地、限界集落に行けば行くほど現金収入は年金、役場の給与、公共工事であり、そうした収入実態の中で、町内会、老人会、消防団、町会議員、市会議員、県会議員、衆議院議員、参議員議員、町長、市長、県知事のほぼ全てが自民党という地域も珍しくない。もちろん、こうした閉塞した状況下でリーダーシップを発揮する革新首長、野党議員、その支持者も多く存在する。しかし非自民候補者を大っぴらに支持するのは経済的なリスクがある上、町内では変人扱いされることが多い。

そんな中で変化が必然になっているのは、あまりにも酷い経済格差に対して、自民党政治が正面から取り組むことはその選挙基盤から考えて不可能だからだ。公共工事はゼネコンが受注し、二次三次四次下請け、一人親方、ガードマンへ降りて行けば行くほど「怪我と弁当は自分もち」という状態に追い込まれる。最近の安倍政権を見れば、コロナ対策の支援金ですらこうした巨大ピラミッドの上部にいる企業群に抜かれている実態が明らかになっている。職がないために毎年高校生の卒業者数だけ人口が減り続ける地域、経済的な理由でDV、セクハラ、パワハラに対抗する自由を持ちにくい女性、収入の低い世帯にあって進学を諦めざるを得ない学生、目の前の仕事を受ける以外に選択の余地がない求職者、そんな経済状態にある人達があふれる一方、富裕層はあらゆる手段を使って節税をし、上場企業は弁護士、公認会計士、コンサルタントを活用して租税回避地を利用し、IT巨大多国籍企業は税金を払わない。

そうした中、連合東京は今回の東京都知事選挙で小池百合子を「支持」した。考えてみれば労組組合員の大部分が、パート、アルバイトの非正規雇用と比べて遥かに恵まれた雇用条件を享受しており、ここから一歩進めて派遣、中小零細企業、一人親方、外国人労働者の味方になることは難しい。理不尽な格差が広がる中で、自民党が力を失うのと同時に、労働組合の選挙協力に頼る野党が力を持てないのも当然ではないだろうか。格差の問題を、家事、子育て、家庭内介護/福祉など、対価の支払われない「労働」にまで広げることは政治の役割だと思われる。

長い歴史を持つユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)の議論が再燃している。万人に無条件で定期的に現金を配る政策である。これを不労所得として捉えるのではなく、健康で文化的な生活を享受する人間の権利、国連憲章でも日本国憲法でも保証されている人間が生きる権利、ベーシック・セキュリティとして捉えることが必要だ。戦後の日本が驚異の経済成長を続け、しかも格差の小さい社会を実現していた時、「世界で最も成功した社会主義」といわれた。資本主義か社会主義かという文脈ではなく、自由主義でありながら格差の小さな社会を実現したことに対する驚きと称賛である。そんな文化を持つ日本だからこそ、今こそベーシック・セキュリティ政策を実現し、これを国の内外に広げて貧困の問題に取り組むことで、日本からSDGsをリードできる。

検察庁法改正案が数百万のツイートで廃案にされた。新しい政治参加の形だ。今度は酷い法案を潰すだけでなく必要な政策を実現させようではないか。


「美しい誤解」と程遠い日本の現状

日本は中東やアフリカにおいて特別なイメージをもっていた。それは「日本の援助には隠された政治的野心がない」という信頼感だ。自ら資金を集めて地元の人たちと一緒に砂漠を緑の農地に変えた中村哲さんの棺はアフガニスタン国旗に包まれ、ガニ大統領自らが担いで追悼式が行われた。政府開発援助(ODA)に直接、間接に関わる多くの人達のシンボルとなっていた緒方貞子さんは、アフガニスタンで「マダム・オガタ」と尊敬を込めて呼ばれ、スムースな活動に不可欠な信頼を醸成した。2003年から2004年にかけて約9万人の武装集団のDDR(動員解除、武装解除、社会復帰)を実現した伊勢崎賢治さんも、こうした中東での日本に対する信頼感を「美しい誤解」と説明している。「美しい誤解」、つまり歴史的にこの地域で侵略行為を行ったことがない日本、大国ロシアのバルチック艦隊に勝利した島国日本、そしてそんな日本の援助には政治的な隠された意図がない、と信じられていたのである。

それがどうだろうか。現職の東京都知事である小池百合子の卒業について、当のカイロ大学ではなく在日エジプト大使館が声明を発する騒ぎになっている。当然ながら、エジプト大使館は日本においてエジプトを代表しており、大使館の発言はエジプト国の発言になる。つまり小池百合子のカイロ大学卒業にエジプト政府がお墨付きを与えた形なのだ。カイロ大学が国立だとしても、なぜそこまでやらねばならないのか。卒業の事実を確認して欲しいならば、大学が当時の資料を提示すれば良いだけで、大使館=政府が出てくる必要はない。卒業が事実であるにもかかわらず卒業証書に不備が指摘されているなら、カイロ大学に資料再発行を依頼すれば良い。仮に、当時の資料が残っておらず、大学側で卒業が確認できないのであれば、これをエジプト政府が大学に成り代わって認定できるはずもない。どんな事情か分からないが、エジプト政府にしてみれば、こんなくだらない問題で対日関係を害するリスクを冒すくらいなら、声明発出くらいはお安い御用だったのかもしれない。しかしこうした展開は、日、エジプト両国にとって何のメリットもないだけでなく、かえって両国の信頼を失うことになりかねない。

さらに悪いニュースがある。アラブニュースが公開した録音記録によれば、日産自動車のレバノンの顧問弁護士Sakher El Hachemが、「IMFの支援を受けるにはレバノンがカルロス・ゴーンを日本に引き渡す必要がある。引渡しがない限りレバノンへの経済支援に対しては日本が拒否権を発動する。」と発言しているのだ。この人物はレバノンにおいて日産自動車を法的に代理する弁護士であり、日産の依頼なしに勝手な発言をマスコミに行うことは考えにくい。もしこれが勝手な発言であり、そうした代理人を日産自動車が雇用したのならば、企業として厳重に対処すべきだ。さらに、一企業が日本のIMF支援を人質にとる形で交渉を有利に進めようとするならば、外務省としても厳重に注意すべきだと思われるが、そんなニュースを目にすることもない。

日本政府、外務省には外交戦略として経済協力を捉える傾向が強く、それが「ODAの戦略的活用」という言葉に現れている。それは、国内で経済的に困窮している人達がたくさんいる中で、どうして見たことも聞いたこともない外国に対して数千億円から一兆円単位の血税を使わねばならないのか、という疑問に答える方便だ。しかしODAの本来の意義はそこではなく、国境を超えてあまりにも酷い経済格差を是正して行く努力を、最終的には日本の国益に繋げることにある。同時に、難民や国内避難民が人権侵害を受け続けているのと同じように、日本でも経済的な理由でDV、セクハラ、パワハラに対抗することが難しい人達がいる。経済支援は国単位で考えるのではなく人間単位で考えるべきであり、不当な経済格差の是正という観点から行われるべきではないだろうか。そうした意味で、緒方貞子さんらが提唱した「人間の安全保障」という考え方の地平は国の内外に広がっている。

中村哲さんや緒方貞子さんのイメージに日本を重ねることは「美しい誤解」かもしれない。しかしこうした「美しい誤解」こそが日本を護る最大の武器であり、日本はこの地域において信頼される国であり続けるべきなのだ。しかし残念なことに、こうして長年積み上げてきた信頼を一瞬でぶち壊しかねないのが、小池百合子の卒業について在日エジプト大使館が声明を発出するような事態であり、一企業のガバナンス問題にIMF経済支援まで持ち出して恥じることのない日産の顧問弁護士なのである。こんな形で「美しい誤解」が「ただの誤解」に変わってゆく。政府や外務省のいう「ODAの戦略的活用」が、選挙対策や企業のガバナンス欠如に利用にされてはたまらない。今からでも遅くはない。カルロス・ゴーンの引渡しを日本のIMF支援と引換えに求めるなどという前代未聞の失言や、首長選挙対策に在外公館が使われるような不透明な事態に対して、日本政府は明確かつ断固たる発言を行うべきである。

Tadashi Inuzuka

WFM-IGP Executive Committee member, Former Senator of Japan

Get the Medium app

A button that says 'Download on the App Store', and if clicked it will lead you to the iOS App store
A button that says 'Get it on, Google Play', and if clicked it will lead you to the Google Play store