Tadashi Inuzuka
6 min readJun 30, 2020

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UBIベーシック・セキュリティ実現に舵を切れ

1955年以来日本の政治を牽引してきた自民党の終わりが始まっている。モリ・カケ・サクラ・デンツーと不透明な隠蔽を繰り返してきた安倍政権はその象徴であり末期症状だ。戦後の経済成長を支えてきた新規学卒一括採用、終身雇用、系列、家の論理が時代の要請で変化しようとする過程を、経産省/特捜/自民党が偏狭なナショナリズムに劣化させたのが日産・ゴーン事件だった。戦後永きにわたって東だけを見る外交を続け、いつまでたっても近隣周辺国家との関係を正常化できず、挙げ句の果てにドナルド・トランプをノーベル平和賞に推薦する総理大臣が出てきた時点で自民党は終わった、そう言っても過言ではない。日本はそんなオベンチャラ国家ではないからだ。

しかし、右手のものを左手に移すに等しい政権交代は成功しない事を我々は旧民主党で経験した。「コンクリートから人へ」という考え方は良い。しかし、政界再編の試金石は格差の問題に向き合う具体的な政策だ。トップ1%が世界50%の富を独占し、個人の資産が数千億、数兆の単位になり、その差がさらに広がりつつある世界で、これを市場原理に任せるかどうかが問われている。見せかけやポーズではなく、政権交代イコール大きな方向性の変化、舵を切ることに繋がる政権公約が必要だ。細かいマニフェストではなく、根幹を支える政策を政治生命をかけて実現する政党の姿勢である。ベーシック・セキュリティを政権公約として導入することは、所有と支配の関係を捉え直し、すべての人が安心して暮らせる社会を実現する意思の表明だ。生活保護は恩恵ではなく権利である。例外なく、個人単位で、定期的に、無条件に、現金を支給する事で生きる心配が不要な経済支援を行う。これがベーシック・セキュリティであり、政党の存続をかけて実現を図る必要がある大きな政策ではないだろうか。

そうした意味で、終わった自民党に代わって政権を担う政党が出てこないのは当然だ。必要なのは自民党との対立軸ではなく、自民党をバラバラにし、その落穂拾いをしながらの政界再編だ。政治家を「落穂」にしてしまって申し訳ないが、新しい対立軸は格差の捉え方にかかっている。どこから徴税して、どこに配るのか。ゼネコン vs. 下請孫請け、正社員 vs. 派遣アルバイト、国民総生産 vs. 子育て家事家庭内介護、所得税/法人税減税 vs. 累進課税、大企業/富裕層のタックスヘイブン利用 vs. 金融取引税/富裕税、多国籍IT企業 vs.デジタル取引税、そして何よりもベーシック・セキュリティ導入の可否が分水嶺になると思われる。コロナ支援金として経験した月10万円の一時金給付を、今後とも全住民に対して、個人単位で、生涯にわたって続けることの可否とその税源をどうするかという視点だ。

考えてみれば自民党は、郵貯/かんぽの資金をバックに「国土の均衡ある発展」を掲げて全国に交通インフラを張り巡らせ、一時期は90%にもなる累進所得税に象徴される税体系で「世界で最も成功した社会主義国」と言われ、都市の税収を紐付きで地方都市にばらまき、こうした予算をコントロールすることで盤石の政治基盤を作ってきた。離島、半島、中山間地、限界集落に行けば行くほど現金収入は年金、役場の給与、公共工事であり、そうした収入実態の中で、町内会、老人会、消防団、町会議員、市会議員、県会議員、衆議院議員、参議員議員、町長、市長、県知事のほぼ全てが自民党という地域も珍しくない。もちろん、こうした閉塞した状況下でリーダーシップを発揮する革新首長、野党議員、その支持者も多く存在する。しかし非自民候補者を大っぴらに支持するのは経済的なリスクがある上、町内では変人扱いされることが多い。

そんな中で変化が必然になっているのは、あまりにも酷い経済格差に対して、自民党政治が正面から取り組むことはその選挙基盤から考えて不可能だからだ。公共工事はゼネコンが受注し、二次三次四次下請け、一人親方、ガードマンへ降りて行けば行くほど「怪我と弁当は自分もち」という状態に追い込まれる。最近の安倍政権を見れば、コロナ対策の支援金ですらこうした巨大ピラミッドの上部にいる企業群に抜かれている実態が明らかになっている。職がないために毎年高校生の卒業者数だけ人口が減り続ける地域、経済的な理由でDV、セクハラ、パワハラに対抗する自由を持ちにくい女性、収入の低い世帯にあって進学を諦めざるを得ない学生、目の前の仕事を受ける以外に選択の余地がない求職者、そんな経済状態にある人達があふれる一方、富裕層はあらゆる手段を使って節税をし、上場企業は弁護士、公認会計士、コンサルタントを活用して租税回避地を利用し、IT巨大多国籍企業は税金を払わない。

そうした中、連合東京は今回の東京都知事選挙で小池百合子を「支持」した。考えてみれば労組組合員の大部分が、パート、アルバイトの非正規雇用と比べて遥かに恵まれた雇用条件を享受しており、ここから一歩進めて派遣、中小零細企業、一人親方、外国人労働者の味方になることは難しい。理不尽な格差が広がる中で、自民党が力を失うのと同時に、労働組合の選挙協力に頼る野党が力を持てないのも当然ではないだろうか。格差の問題を、家事、子育て、家庭内介護/福祉など、対価の支払われない「労働」にまで広げることは政治の役割だと思われる。

長い歴史を持つユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)の議論が再燃している。万人に無条件で定期的に現金を配る政策である。これを不労所得として捉えるのではなく、健康で文化的な生活を享受する人間の権利、国連憲章でも日本国憲法でも保証されている人間が生きる権利、ベーシック・セキュリティとして捉えることが必要だ。戦後の日本が驚異の経済成長を続け、しかも格差の小さい社会を実現していた時、「世界で最も成功した社会主義」といわれた。資本主義か社会主義かという文脈ではなく、自由主義でありながら格差の小さな社会を実現したことに対する驚きと称賛である。そんな文化を持つ日本だからこそ、今こそベーシック・セキュリティ政策を実現し、これを国の内外に広げて貧困の問題に取り組むことで、日本からSDGsをリードできる。

検察庁法改正案が数百万のツイートで廃案にされた。新しい政治参加の形だ。今度は酷い法案を潰すだけでなく必要な政策を実現させようではないか。

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Tadashi Inuzuka

WFM-IGP Executive Committee member, Former Senator of Japan