恩を仇で返す日本
2020年1月8日にレバノンで行われた2時間30分に渡るカルロス・ゴーンの記者会見を最後まで観た。英語、フランス語、アラビア語、ポルトガル語で行われる記者からの矢継ぎ早やの質問に、4つの言葉を駆使して本人が直接、かつ的確に応答を行なっていた。日本のメディアはテレビ東京などの一部を除き、会場に入ることさえできなかった。この点を質問されると、「日本のメディアから逃げるつもりはないし、別の機会を設ける準備もある。しかし、事実を追求する姿勢がなく、検察のリークを流すだけの日本のメディアにはご遠慮頂いた」と答えた。そのように言われても二の句が告げない対応を続けてきたメディアが多いのは事実である。
日産・ゴーン事件を考える時、当時の日産がどんな経営状態であったのか、そしてカルロス・ゴーンの行った経営がどんなものだったのか想起する必要がある。
1999年2月、Moody’s 及びStandard & Poor’sという二つの格付け会社が、支援が見つからない場合という条件付ながら、日産を「ジャンク」(投資に適さない)レベルに落とすという発表をした。倒産の危機に直面していた日産は同年3月にルノーとのアライアンスに調印し、4月にはカルロス・ゴーンがCOOとして着任する。そこでゴーンがまず発表したのは、2001年決算期までに日産が黒字化しなければ、自分はその責任を取って辞任するという決意だった。そこで、彼が着任後1ヶ月以内に着手したのが9つのCFT(クロス・ファンクショナル・チーム)の設置である。戦略策定をコンサルに頼るのではなく、部門横断的に社内の中間管理職を抜擢して、再生戦略を現場から作り上げ、縦割りの弊害を廃したのだ。失敗した場合の責任は明確にトップが取り、ボトム・アップで柔軟な意思決定を行う。コンセンサスを尊ぶということを除いては、日本的経営のお株を奪うような経営改革ではないだろうか。こうして同年10月にはNRP(日産リバイバル・プラン)を発表する。その目標は、2000年決算までの経常利益黒字化、2002年までに営業利益を売上比4.5%以上、そして2002年までに自動車部門の有利子負債を7,000億円以下にする、という3点であった。
その上で経営理念として、①透明性 ②戦略5%現場95%の目配り ③優先順位の明確化、の3点が最重要であるとした。稀代の経営者ゴーンがこの基本を体現する形で日々の意思決定を行い続けたことは言うまでもない。その結果、NRP(日産リバイバル・プラン)に掲げた3つの目標全てを1年前倒しで実現したのだ。すなわち、2000年決算期での経常利益の黒字化、2001年期末の営業利益3,720億円(日産社歴で最高益)、2000年の営業利益売上比4.75%、2001年営業利益売上比7.9%、自動車部門の有利子負債4,310億円(24年間で最低レベル)である。歴代の日産経営者ができなかったことを、カルロス・ゴーンは2年で実現したことになる。
彼は言う。「明確な戦略を社内で共有できた後は、日本での仕事は喜びだった。日本人は仕事を進めるにあたって、全ての物事を最高のレベルで進めることを知っている。そしてリーダーシップに敬意を払う。」まさにトップは触媒にしか過ぎず、最大の功労者は日産の現場社員(95%)とNRPを策定した日産中間管理職(5%)だということになる。こうした経営理念がハーバード大学を初めとする世界のビジネス・スクールのケース・スタディに取り上げられ、20冊以上の書籍が刊行されたのも頷ける。
日産自動車は日本を代表する上場企業である。グローバルで14万人からの従業員を雇用し、地元横浜はいうに及ばず子会社、関連会社、そしてその家族を含めて、倒産という事態に立ち至れば大きな社会不安となったであろうことは想像に難くない。バブル崩壊後の1997年に山一證券が負債総額3兆5千億円で倒産し、その被害が関連会社に広がる中で、日産の奇跡的な再生が日本経済にとってどれだけ大きな希望となったのか計り知れない。その後もカルロス・ゴーンは17年間に渡って経営の全ての指標で成長を続け、2008年の金融危機からもいち早く回復し、日産・ルノー・三菱を、世界最大の自動車産業グループに手が届くところまで牽引し続けたのである。
日産・ゴーン事件で、日本は恩を仇で返した。この政治的クーデターと思われる事件には、経産省出身の社外取締役豊田正和ほか多くの関係者、そして安倍政権の中枢に座る政治家の関与も疑われている。
考えて欲しい。受取ってもいない、金額も確定していない、しかも将来の約束事である役員報酬は、「開示すべき役員報酬に該当しない」と金融庁自らがグレッグ・ケリーにアドバイスしているのだ。そもそも有価証券報告書虚偽記載に該当しないのである。特別背任に至っては、検察側から十分な証拠さえも提供できていない。日産が200億円以上の資金を使って社内調査を行い、法務省検察庁特別捜査部に持ち込み、本来はコーポレートガバナンスの範疇である問題を刑事事件、国策捜査として取り扱う。起訴前に長期間に渡って被疑者を拘留し、弁護人の立会いなしに尋問を行い、虚偽の自白をしない限り出所させない。特捜のやっていること、そしてこれを許す日本政府のやり方は、独裁政権に支配される諸国と変わるところがない。そうした国々で政府の批判ができないのと同じように、日本でも特捜や経産省、政府に睨まれたらまともに仕事ができない、ということになってしまう。
記者会見では、カルロス・ゴーンの羽田空港での突然の逮捕がパール・ハーバーと比較されてしまった。長年ハワイで仕事をしてきた私にとっては、誠に腹立たしい限りだ。なぜなら、ハワイの日系人にとってパール・ハーバーは日産ゴーン事件と比較できるような軽々しい事件ではないからである。パール・ハーバーをきっかけに米国では日系二世部隊が創られた。それは真珠湾攻撃後に全ての日系人が強制収容所に入れられたことに端を発する。収容所に入れられた日系二世達が 志願して日系第100部隊、そして442大隊が発足している。彼らはヨーロッパ戦線を戦い、米軍の歴史上最も死傷率が高かった為にパープル・ハート大隊と言われた。また、最前線でドイツ軍と戦うだけでなく、銃後のアメリカにおいても日系人に対する偏見と戦ったのである。帰還後、彼らは奨学金を得て教育を受け、ハワイの政財界を席巻する。ハワイは50番目の州となり、米国で初めての日系知事ジョージ有吉が誕生する。戦争で大きな犠牲を払い、そして長い時間をかけて日系人社会が汚名をそそぎ、1951年の民主党革命と言われる政権交代を実現している。こうした多民族、多文化、異質なものから新しい価値を生み出すハワイの土壌からオバマ大統領も誕生した。日産・ゴーン事件とパール・ハーバーを比較したいのであれば、日本の刑事司法と政治の闇を抜本改革する、という文脈で語られるべきだろう。
そもそも、無罪の被疑者に対して証拠を捏造してまで検察の筋書きを通そうとした村木厚子事件を経ても、密室で自白を強要する特捜、そしてこうした自白を証拠として最優先する裁判所の体質は全く変わっていない。安倍政権はこうした特捜の暴走がどれだけ日本の国益を害しているかを認識し、一刻も早く成熟した民主国家としての信頼感を取り戻すべく法整備を行うべきである。こうした事態を傍観、あるいは助長してきた現政権の責任は重大である。
折しも世界の刑事司法関係者が集結する国連最大規模の国際会議「コングレス」が2020年4月に京都で開催される。インバウンド観光客が激増し、移民政策も視野に入ってきた現代だからこそ、安全で公正な日本を支える刑事司法改革を行う意思を立法府が示す時だ。
謙虚で、忍耐強く、口数は少ないが信頼できる。言ったことは実行する。礼儀正しい。そんな日本が脈々と生きているからこそ日産リバイバル・プランが成功したのである。「恩を仇で返す」のは日本ではない。それは、ビジョンなき政治と、これに忖度する官僚、メディア、そして四方八方気を使って物事を決めることができない無能な経営者の姿なのである。