日産ゴーン事件の結末

Tadashi Inuzuka
Dec 18, 2020

国際法の原則を「到底受け入れることはできない」とする日本の姿

日産ゴーン事件について、国連人権理事会(UNHRC)の「恣意的拘禁に関する作業部会」は、2020年11月20日に意見書を発表し、カルロス・ゴーンを日本の当局が4カ月余りにわたって勾留したのは、恣意的であり人権侵害であると結論づけた。作業部会は「勾留を繰り返したのは司法の権限を超えた手続きの乱用だった」とし、ゴーン氏への賠償を日本政府が行い、さらに「権利を侵害した責任を負う担当者に対して適切な措置をとる」ことを求めた。

上川陽子法相は24日、「ゴーン被告の一方的主張のみに依拠した事実誤認に基づく意見書が公表されたことは極めて遺憾で、到底受け入れることはできない」と述べた。公明党の山口那津男代表も同日、「恣意的との指摘は当たらず、到底納得できない」とした。日本外務省吉田外務報道官は、「… 今回の意見書というものは、加盟国を拘束するものではありませんし、またその機関である人権理事会の見解でもありません。…日 本は訴訟関係人の権利の保護の観点から、法律上、捜査公判に関する情報が提供することができないということが法律で定めてあります。そうした中で、十分に日本から事情を重ねて説明をしてきたものです。」と説明した。

こうした日本の反応は国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会で「シャラップ!」と感情的な発言をした上田秀明人権人道担当大使(当時)を思い起こさせる。上田氏は2013年5月22日、日本政府を代表した立場で、スイスで行われた拷問禁止委員会の審査会に出席していた。警察や国家権力による非人道的な拷問や刑罰を禁じる「拷問等禁止条約」が日本で順守されているか審査を受ける場だった。海外の委員の一人が「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と刑事司法制度を批判したところ、上田大使は「日本は中世ではない。我々はこの分野で世界で最も進んだ国の一つだ」と答え、会場に笑いが起こると、「笑うな。何がおかしいんだ? 黙れ。黙れ!」と問題発言を炸裂させた。一連のやり取りは今でもネット上で観ることができる。

確かに日本は安全な国だ。子供が電車やバスを乗り継いで通学することにさほど心配はいらない。交番システムも輸出されている。しかし、日本が世界に誇る「安全な社会」ではあっても、刑事司法制度が「完ぺき」だと思うのは間違いだ。同時に、ここで日本の外交官を責めることはできない。国際人権法を尊重して刑事司法制度の不備を改めるのは立法府の仕事だ。日の丸を背負ってこれを擁護する立場の官僚から言い出すのは難しいだろう。なぜ日本の制度が「人質司法」と言われるか、にはいろいろな側面がある。一つの分かりやすい例が、被疑者の取調べに弁護士の立ち合いを認めないことだ。この状況は東アジアの国々の中で、北朝鮮、中国、そして日本の三ヶ国のみだ。この一点だけをとっても日本の刑事司法が「中世」のようだと言われ、これを感情的に弁護した日本の官僚が失笑を買うのも仕方がないだろう。

「政府が何かやれば、かえって迷惑というのか?」_大日本帝国商工省工務局 坂工政課長

日産ゴーン事件の経済的側面を考えて見よう。経営危機に陥ってしまった日産自動車に対して、2020年5月に危機対応融資1,800億円が決まっている。その内1,300億円には政府保証がついている。つまり、返済が滞れば保証した80%が税金から支払われることになる。類似の例では、2009年に日本航空に対して約670億円の政府保証付き融資があったが、同社は翌年に経営破綻し、約470億円の国民負担が生じている。こうした経営破綻の背後にあるのは、政府の介入が大きければ大きいほど経営が行き詰まるという事実ではないだろうか。明治維新以来、日本の奇跡的経済成長を支えてきたのは政府の政策ではなく、有能な経営者なのである。

1934年、ドイツ国民投票でヒトラーが総統として承認された1ヶ月後、日本では「自動車工業確立ニ関スル各省協議会」の第7回会合が商工省主催で開催された。ここで日本を代表する自動車産業の責任者3名が意見を陳述した。豊田喜一郎(豊田自動織機製作所社長)、鮎川義介(日産自動車社長)、加納友之介(自動車工業社長)である。この場で豊田喜一郎は自動車製造の現状を説明し、最小限月産700〜800台程度の生産で、米国車と価格的に競争可能である旨を述べた後、こう付け加えた。「政府の援助は考えていなかったが、あれば結構なことである。ただし、補助金は原価低減努力を阻害するので不要である」「どこの会社が自動車産業で成功するかわからないので、すべての会社に製造許可を与えて欲しい」。豊田喜一郎は、自助努力を妨げる補助金や参入規制に対して、反対の意見を持っていた。会議を主催した商工省坂工政課長が「政府が何かやれば、かえって迷惑というのか」と聞き返したという。 _トヨタ自動車75年史より抜粋

もう一つの例はホンダの四輪車市場参入だ。1961年に通商産業省は特定産業振興臨時措置法案(特振法)を用意した。国際競争力を高めるために自動車メーカーを3つのグループに整理統合することを目指したのだ。当然、新規参入は認められないことになる。自由競争主義者の本田宗一郎は強く反発し、1962年6月5日、建設中の鈴鹿サーキットでオープン2シータの「S360」とDOHCエンジンを搭載したトラック「T360」を発表した。翌1963年の8月にT360を発売、10月には排気量をアップしたスポーツカー「S500」がデビューする。価格は45万9000円という驚異的な低価格だった。翌年、特振法は国会で廃案となり、ホンダの前途に立ちはだかる障害はなくなった。_Car Graphic webCGより抜粋

どこの国であっても、経済成長は豊田喜一郎や本田宗一郎のようなメンタリティを持った経営者に支えられる。太平洋戦争前夜、大日本帝国商工省の影響力が強大な時でさえ、日本の経営者はこうした矜持を持っていた。そうした経営が切望されるのは、現代の日産自動車で働く99%の人達にとっても同様だろう。日産・ゴーン事件の過ちは、企業ガバナンスの問題を法務省検察局特別捜査部に持ち込み、自らの会社のトップを司法取引を使って逮捕、勾留させた日産トップの御家騒動、これに加担した経産省、お墨付きを与えた政権中枢、そして特捜部の垂れ流す情報をそのまま拡散する日本のメディアによる推定有罪報道だ。その結果、日産を倒産の危機から救った経営者が4ヶ月以上勾留され、繰り返される勾留延長請求を裁判所が無批判に許可しただけでなく、起訴後初公判の日程さえ確定できないような刑事司法制度の醜態が国際社会に注目されることになった。もし、勾留期間中フランス大使やレバノン大使が定期的に面会に行くことがなければ、そして海外のメディアが注目しなかったならば、自白しない限り勾留を続ける「人質司法」によって、カルロス・ゴーンは今日に至るまで勾留所から出られなかっただろう。現に、オリンパス粉飾決算事件では横尾忠宣氏が無罪を主張し、自白を拒んで、966日間の未決勾留を経験している。966日間。約2年7ヶ月である。

自ら経営経験を持たない官僚や政治家の介入は百害あって一利なし

現在、日産の正社員はグローバルで13万6千人、家族まで入れれば50万人の生活がこの会社の経営にかかっている。パート、アルバイト、子会社、孫会社、関連会社、そして5000社に上る日産サプライヤーに働く人達まで考えれば、その経営の行方は数百万人の生活に影響を及ぼすだろう。このような総合産業においては、どの国でも政府との結びつきはある。日産本社所在地である衆議院神奈川県第2区から選出されている管総理大臣が、日本を代表するこの会社の再生を考えるのは当然だ。しかし、今までの経緯を見ていると、日の丸を背負った日本企業としての日産だけを守ろうとしているようにしか見えない。それが結果として日産の再生に繋がり、日本経済を先導するなら良いが、今回の政府保証1,300億円をはじめとして、やることなすこと日産の底力を引き出すどころか、反対にその力を削ぎ、日本の経済力を落とし、ひいては日本の信用を貶めているとしか思えない。

1999年に日産がその株式の36.8%を仏ルノー社に売却して倒産の危機を乗り越えて以来、日産は外資系企業になった。外資日産のCEOになったカルロス・ゴーンは「ミッション・インポッシブル」と言われた仕事を引き受ける際、日産の底力を信じ、社風に敬意を払い、95%の目配りを現場に置き、中間管理職から日産リバイバル・プランを引き出し、優先順位を明示し、海外の関連会社まで含む徹底した透明性を確保して、たった2年で日産社歴最高益を叩き出した。2008年のリーマンショック後、経営不振に陥った米GMの再建をオバマ大統領から直接依頼された時も、カルロス・ゴーンは日産に残り、その後ルノー・日産・三菱連合を世界一の自動車グループにまで牽引したのである。1980年代に世界経済を席巻した日本的経営は、LTE/終身雇用、LRP/長期計画、TQC/品質管理などにあるとされてきた。こうした企業文化に敬意を払わず、非採算工場の閉鎖などのコスト・カットだけでV字回復を実現できたと考えるのであれば、それは大きな間違いだろう。系列企業の株式を売却し、大胆に仕入れ価格を削減し、経産省からの天下りを拒否したことは、日本的経営の負の側面にメスを入れたことに他ならない。

この間、日仏両政府の存在はルノー・日産・三菱の経営に寄与しなかったどころか、現場を知らない官僚、政治家等の手によってこの成功を根底から覆してしまった。カルロス・ゴーン追放後の、日産とルノーの惨憺たる決算書がそれを余すところなく物語っている。フランスにおいても「黄色いベスト運動」で政府は頭を悩ませている。だからこそマクロン大統領はカルロス・ゴーンが高額の給与を取ることに反対したのだろう。しかし日産はグローバル企業として再生するのであって、日仏両政府が企業経営に口を挟む余地はない。自ら経営経験を持たない官僚や政治家の介入は百害あって一利なしだ。

日本が戦後の経済成長を続けていた頃、「経済は一流、政治は三流」と言われた。いまその政治が、経済まで三流にしようとしている。日本の成長と安全を確保してきた今までの自民党政治には敬意を払うべきだと思う。しかし、いつまでもジャパン・インクをやっている時代ではない。日産ゴーン事件の結末は1,000億円以上の国民負担可能性に加え、人質司法の現実を世界に知らせ、日本の信頼を貶めたことだ。

日本は2021京都コングレスで国際人権法を尊重する立場を鮮明にすべきだ

幸いなことに、第14回国連犯罪防止刑事司法会議が2021年3月7日〜12日の間、京都で行われる。世界の刑事司法専門家が集う国連最大級の国際会議である。実はこの会議、2020年4月20日〜27日に開催される予定だった。その時の法務省は「人質司法」に少しでも関係するようなパネルはゼロ、サイドイベントとしても全く認めないという立場だった。今回はどうなるのだろうか。京都に集まる世界の刑事司法専門家から、どんな批判でも堂々と受け止めて改革につなげるだけの自信、そうした横綱相撲を取れる治安の良さを日本は持っている。今こそ、国際人権法を尊重する立場を2021京都コングレスで鮮明にし、 これを成功させ、遅きに失した「人質司法」の改革に取り組む時ではないだろうか。

--

--

Tadashi Inuzuka

WFM-IGP Executive Committee member, Former Senator of Japan